九州一周ツーリング(1)

主な行程

2003.5.27 鹿児島-人吉-五家荘                                                                    
2003.5.28 五家荘-通潤橋-高千穂峡-大分                                                      
2003.5.29 大分-長曽我部信親戦没地-大友宗麟墓-臼杵磨崖仏-佐賀関-宇佐神宮
2003.5.30 宇佐神宮-耶馬溪(青の洞門)-久留米-佐賀-佐世保                           
2003.5.31 佐世保-神崎鼻-長崎-島原−雲仙-佐賀−熊本                                 
2003.6.01 熊本-HSR九州-鹿児島                                                                 

 

主なデータ

使用したバイク VFR
当時の職業 無職(学生)
予算 五万円くらい
出発前の目標 五家荘に行きたい
                    HSR九州で友人出場のレース観戦

出発までの経緯

当時私は、3月に仕事を辞め(有給が一ヶ月あったので書類上で辞めたのは4月)毎日ぶらぶらしてました(^^;)
と言っても、通信制高校に在籍しており、高校を卒業すると言うのもその当時の目標でしたので、
通信のレポートと、月数回のスクーリングはまじめにやっていましたが、それほど手間のかかるものでもありません。
失業保険の手続きを経てさまざまな角度から検討した結果、職業訓練を受けようという方向も決まっていました。
(学生では失業保険の給付は受けられませんが、通信制等は例外です)
職業訓練が始まる前にツーリングに行きたいと漠然と思っていたのですが、
仕事時代の後輩が(私は社員、彼はバイト)熊本にあるHSR九州でレースに出るということから事態は進みました。
「見にきてくださいよ」
その彼の一言で、「じゃあ九州をぐるっと回って最終日にHSRに着けるよう、ツーリングに行こう!」と計画が決定しました。
それ以上ツーリングに出るのを遅らせると、手持ちの資金がなくなるという危機感も根底にはありました(^^;)


2003.05.27 一日目

鹿児島にて

ツーリングの準備をし、一日目のルートを決めた後で家を出発し最初に向かったのは彼女の家(^^;)
当時の彼女は飲食店の店長で
(私も仕事辞めるまでは店の形態は異なれどそうでしたので、「店長カップル」と周囲にはよく言われました)
一週間前後の旅に連れて行けるはずもなく、お留守番です。というわけで、私は一計を案じ?
寂しがり屋の彼女のために、旅先から手紙を書こうとレターセットを持ってきていました。
しかし、「手紙書くから」と言っておいたのではオドロキがないでしょうから、
ワンルームの彼女の部屋でコーヒーを飲みながら、そんなことはおくびにも出さず、
彼女宛の郵便物からきっちりした住所をチェックしたのち、本当の出発です。
余談ですが、手紙はたかが一週間の旅ながら数回に分けて便箋で30枚近く書いたような覚えもあり、
こういうこともあろうかと(=過去のツーリング経験を文章にすることもあろうかと)
かなり詳細なものを時間をかけて書いて送っていたのですが、
その後、その彼女とは別れたためにココは記憶で書いています(^^;)

彼女の部屋を後にして、目指すは一路、熊本は人吉です。
人吉は以前、上と同じ彼女が「高速から見えるクルクル(=ループ橋)を通ってみたい」というので
そのループ橋を通り、「翠嵐楼」という旅館に泊まりに行ったことがあります。
ルートとしては、
鹿児島-国道10号-加治木-県道55号-栗野-国道268号-えびの-国道221号-人吉
です。鹿児島〜人吉はそれほど遠くなく、流しながらでも3時間もあれば着く距離だったと思います。
人吉を出ると、五家荘に向かって国道445号を北上です。
途中、ダム問題で有名になった川辺川を横手に見ながら、子守唄で有名な五木村を抜けると、
平家の落人伝説で有名な五家荘(泉村)に到着します。
そこはただひたすらに山の中です。
落人伝説もむべなるかな、というより「なぜこんな山の中に人が住んでいるのか?」と言う疑問すら湧き、
逆にこんなところにまで舗装路を通している人間の力を改めて感じます。
(決して走りやすい道とはいえませんが・・・ギアはローやセコが多く、半クラもかなり使いました。
私が下手なせいもありますが、何しろ脱輪でもしたら、助けてくれる人がいつ通るか分かりません)
私が当時、通信制高校に在籍していたのは前記のとおりですが、
国語のレポートで短歌を一首作りなさいと言うのがありまして、詠んだのが次の句です。

五家荘 平家の武者は今何処(いずこ) 山は深きて 姿見せざり

山が深かろうが浅かろうが、平家の武者が現代にいるわけがありません。
しかし、山が深くて姿を見せない、それくらい山が深いと言うことを言いたかったわけです。
ちなみに泊まりは村内にあるキャンプ場で常設テントを借りました。寝袋は持参でしたので。
1000円くらいだったかな。
ご飯はキャンプ場の上にあった食堂にて。と言ってもそんな山中で食堂が繁盛するわけもなく、
私が入っていったら普通の主婦と言った感じのおばちゃんがとうもろこしをかじりながら出てきました。
それはともかく、キャンプ場の管理人が教えてくれたとおり、田舎そばがおいしく、
ヤマメだったかアユだったか・・・塩焼きが確かあって(なにせ一年前のことなので記憶が・・・f^^;)
Goodでした。
キャンプ場は当然?私一人で、コインシャワーやトイレは整っていたものの、
そばを流れる川を、何のためにか人口の滝のようにしてあり、
その音がうるさい(木々が風にざわめいているような音でした)のはマイナスでしょうか。

樅木吊橋1  左の写真は「樅木吊橋」(もみきつりばし)です。

下(川面)から見たところ。二本の吊橋が掛かっています。樅木吊橋2

その他、「平家の里」と言う施設にも行きました。他に観光客はいなかったような(^^;)
あまり詳しくは覚えていませんが、能の舞台のような施設があり、
資料館では、那須与一の息子と、那須与一が扇を射たときに舟の上から手招きした女性との恋愛伝説等がありました。

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